Re:毎日のセックス学♥️【完全版】
それはセックスです。セックス学です。
すみません、カッコつけました。
「セクシャルファンタジー」を考えてみる。何故だろう、ほくが女としてセックスしている(されていると文にしがち)シチュエーションを想像する方が気持ち良いということ。女の嬌態こそ、「セックス」だからなのか。「やる方(男)」というあさはかさからか、協力者というか、客観というか、能動的なのに主体者では無いから、とか感じていたのかも。全く無意識に。
男は「イカせる」為のものとして認識していた、或いはさせられていたからなのかもしれない。
ゴルゴ13のように、顔色変えず突きまくり島崎遥香さんのような「ハの字」眉を、苦しみにも似た泣き声を、鳴き声を愛でる。
白いおっぱいがリズムを刻み、くりっとした乳首が舌を誘う。捩れた左腕をやや強引に引き寄せ、つるりとした、三本スジの入った臼灰色の脇にしゃぶりつく。
やっぱり違う。
こちらは主体ではない。やはり。
「快楽」を感じているのみのようです。
快楽そのもの、セックスは以前書いたのですが「女」にある。
オーガズムを得た時、女は忘我するそうです。
(忘我なんて言いませんでしたけど。勿論)
女は「イク」と自己認識とか、自己抑制とか、自意識がとんでしまうらしい。
化学物質の事で言うと、「オピオイド」
というのが分泌されるからだと。
男は「俯瞰」してしまう。これは、良くもあるのですが。
「知的」快楽。
ゲームをコンダクトする喜び。けれども無我になってゴールする、ストライカーのような愉楽は、もっと激しくて、鋭利で、恐くて、リアル。
枠組みの外側に行ってしまうことのようにも思うのです。
それこそ「セックス」「セックスのリアル」
扉の向こうから、ぎしっぎしっとベッドの軋む音がする。
母のすすり泣きのような鳴き声が聞こえている。オナニーする。ぼくは母の役を想像する。オナニーの原体験。
今、後付けで考えると「セックス=女」
だからなのです。だからぼくのセクシャルファンタジーでは女になる。
別に女になりたいわけではないし、男として掘られる方になんかなりたくない。三島さんとは違う。うっ、それた。
相手の女性の為のセックスを心がけているつもりです。(高慢な奴と思わないでほしいが)それではセックスそのものにならない。ううん。二律背反。第18話。
愛欲の果実は女のもの。確かにそう思うのです。
ぼくら男も外側に行かなければ。
「イカせてもらう」のです。女に。
「仕事じゃないんだから」
学びました。
「感じればいい」と。
でてしまうときは出す。がまんしない。
「良すぎて」とか言いながら。
自分も喘ぐ、身をよじる、よがり、抱きつく。
「だしちまったぜ」とは故 松田直樹選手の名言でしたが、解放しました。
男のくその役にもたたないエセプライド、エセマッチョイズム、超バカダンディズムたる呪霊錠をアンテしました。
そうすると女性もセックスの知恵の実を得るようです。俯瞰する喜びを。
女に急に爪をたてられたりして感じます。よがりつく。
本当はいつだって子供のように甘えたいのです。
女性の皆様どうかよろしくお願いいたします。
天気がいいので海に行ってきます。
「文、浮気おじさんという文学」第11話。
謝々。本当に賢い皆様に恥ずかしいのですが。よろしくお願いいたします。
s.o1983