【不倫論完結編】妻にも、不倫相手にも、クンニリングスは愛をたくさん込めて
第18話。
「楽しい」は鍵だ。
人生はやっぱり一度しかない。残りの時間だって短い。ジジイになって悔しい思いはしたくない。
「不倫のルール」はシリアスになってはいけないということ。
「不倫」という「おおらかなゲーム」に興じる。
真面目も大事だ。けれども、男としての本能、女としての本能はしぶとく、力強く、動く。死に絶えることなんかない。
だから、不倫したとしても「罪悪感」なんて持つべきじゃないとぼくは思う。
普通なことだから。
かといって、気ままに不倫すべきでもないが。
「関係性の均衡」が約束じゃないでしょうか。
不倫相手が大好きになっても「ぶんどってはいけない」し「奥さんと離婚して」も無し。完全無し。
「不倫」は不倫なのだ。
どこまでも不倫の関係性を貫くしかないのでは。
できないなら、あとは個人の自由です。個人の人生ですから。
でも、ぼくは、「ルール」あっての「自由」だと思うのです。
セックスは素晴らしいし、妻がいたって、女の子は好きだし、すごく親しくなることから、逃げたくもない。美しい女性には「感動」を伝えたいし、キスしたくなるかもしれないし、優しくしたくなるかもしれないし、セックスしたくなるかもしれない。
でも、「既婚者」である事実は変わらない。
「既婚者である」ことは隠しちゃいけない。
これはぼくの「ルール」
二人の息子を愛しています。妻には、ほんと色々ありすぎて…やっぱり一番大切だし、死ぬ瞬間に思うのは「マジかわいい浮気相手」ではなく、妻の事に決まっている。
たどり着くのは、「配偶者」と、「不倫相手」を同枠、同役にしてはいけないということなのです。
「不倫相手」の方を愛します。だから「不倫相手」を「妻」にします。「妻」と「子供」捨てます。
だから破綻するし、皆が不幸になるのではないでしょうか。
古代ギリシャの人々はとても素敵に、快活に、楽しく制度化した。
「妻」「内縁の妻」「ヤり友」これでいくぞよ。
表向きには「一夫一妻」
けれども、人の心、自然界の普通、何より、「より良く、生きる」ために、「愛の形」を3つに分けた。
「妻」「内縁の妻」「ヤり友」混乱無し。
このカテゴライズは不変であったのか。
この「不変」こそ、「本当の正解」ではないのか。
ぶっ壊してはいけない。「ルール」
放棄してはいけない。「ルール」
拒絶しない。「ルール」
「妻」も「不倫相手」も、「風俗嬢」も、皆等しく愛する。「ルール」…
「不倫相手」を抱いて、「妻」を抱かないから問題なのだ。
「不倫相手」にプレゼントを送り、「妻」の誕生日を忘れるから問題なのだ。
「不倫相手」にはクンニリングスしまくり。
「妻」のまんこには即いれ、即出し、即終了だから問題なのだ。
すべてに「均等な愛」を。
「妻」にも、「不倫相手」にも、「風俗嬢」にも、優しく触れ、楽しい話をして、思いやる、豊かな、「リラックスしたセックス」をする。
ぼくらは何も捨ててはいけないように思う。
男は、愛をもって「受け入れる」背負う。最後まで、死の瞬間まで。
すべての女性は、男のおちんぽを受け入れるのだから、その女性たちの献身に、愛をもってすべてを背負うことを約束するのです。
ぼくの思う正解かな?と。
あと、ぼくらは、女性を、できるだけ沢山の女性に、愛を示して、優しくする。
話を聞く。
愛はおおらかに、快活に。
セックスもおおらかに、快活に。女性の充足のために。
今のぼくは、そう思います。
今回も本当にありがとうございました。
これで、「不倫」についての連作は一応、一段落つきました。
「不倫」「浮気」はデリケートなテーマですので、読まれた方の中には、別の意見を持っている方も多くいらっしゃると思います。
よれしければ、ご意見(コメント)なさっていってください。
女性の皆様のご意見、ぜひ。
s.o1983