36歳、浮気なぼくら

ビートニクの生き残りSeiyaの放浪文集

【不倫論完結編】妻にも、不倫相手にも、クンニリングスは愛をたくさん込めて

第18話。

「楽しい」は鍵だ。

人生はやっぱり一度しかない。残りの時間だって短い。ジジイになって悔しい思いはしたくない。

「不倫のルール」はシリアスになってはいけないということ。

「不倫」という「おおらかなゲーム」に興じる。

真面目も大事だ。けれども、男としての本能、女としての本能はしぶとく、力強く、動く。死に絶えることなんかない。

だから、不倫したとしても「罪悪感」なんて持つべきじゃないとぼくは思う。

普通なことだから。


かといって、気ままに不倫すべきでもないが。

 

「関係性の均衡」が約束じゃないでしょうか。

不倫相手が大好きになっても「ぶんどってはいけない」し「奥さんと離婚して」も無し。完全無し。


「不倫」は不倫なのだ。


どこまでも不倫の関係性を貫くしかないのでは。

できないなら、あとは個人の自由です。個人の人生ですから。


でも、ぼくは、「ルール」あっての「自由」だと思うのです。

セックスは素晴らしいし、妻がいたって、女の子は好きだし、すごく親しくなることから、逃げたくもない。美しい女性には「感動」を伝えたいし、キスしたくなるかもしれないし、優しくしたくなるかもしれないし、セックスしたくなるかもしれない。

でも、「既婚者」である事実は変わらない。

「既婚者である」ことは隠しちゃいけない。

これはぼくの「ルール」

二人の息子を愛しています。妻には、ほんと色々ありすぎて…やっぱり一番大切だし、死ぬ瞬間に思うのは「マジかわいい浮気相手」ではなく、妻の事に決まっている。

 

たどり着くのは、「配偶者」と、「不倫相手」を同枠、同役にしてはいけないということなのです。

 

「不倫相手」の方を愛します。だから「不倫相手」を「妻」にします。「妻」と「子供」捨てます。

 

だから破綻するし、皆が不幸になるのではないでしょうか。

 

古代ギリシャの人々はとても素敵に、快活に、楽しく制度化した。

 

「妻」「内縁の妻」「ヤり友」これでいくぞよ。

 

表向きには「一夫一妻」

けれども、人の心、自然界の普通、何より、「より良く、生きる」ために、「愛の形」を3つに分けた。

 

「妻」「内縁の妻」「ヤり友」混乱無し。

このカテゴライズは不変であったのか。

この「不変」こそ、「本当の正解」ではないのか。

 

ぶっ壊してはいけない。「ルール」

放棄してはいけない。「ルール」

拒絶しない。「ルール」

「妻」も「不倫相手」も、「風俗嬢」も、皆等しく愛する。「ルール」…

 

「不倫相手」を抱いて、「妻」を抱かないから問題なのだ。

「不倫相手」にプレゼントを送り、「妻」の誕生日を忘れるから問題なのだ。

「不倫相手」にはクンニリングスしまくり。

「妻」のまんこには即いれ、即出し、即終了だから問題なのだ。

 

すべてに「均等な愛」を。

「妻」にも、「不倫相手」にも、「風俗嬢」にも、優しく触れ、楽しい話をして、思いやる、豊かな、「リラックスしたセックス」をする。

 

ぼくらは何も捨ててはいけないように思う。

男は、愛をもって「受け入れる」背負う。最後まで、死の瞬間まで。

 

すべての女性は、男のおちんぽを受け入れるのだから、その女性たちの献身に、愛をもってすべてを背負うことを約束するのです。

 

ぼくの思う正解かな?と。

あと、ぼくらは、女性を、できるだけ沢山の女性に、愛を示して、優しくする。

話を聞く。

 

愛はおおらかに、快活に。

セックスもおおらかに、快活に。女性の充足のために。

今のぼくは、そう思います。

 

今回も本当にありがとうございました。

 

これで、「不倫」についての連作は一応、一段落つきました。

「不倫」「浮気」はデリケートなテーマですので、読まれた方の中には、別の意見を持っている方も多くいらっしゃると思います。

 

よれしければ、ご意見(コメント)なさっていってください。

 

女性の皆様のご意見、ぜひ。

 

s.o1983