「良い行動とぼくの美意識」
死ぬのです。近い将来。それほど時間はありません。
あ、以前「ファントムメナス」という回で書きましたが…
第24話。
こういう現実から、目を反らさず生きると、自分の本来の姿が見えてきます。
あるはてなブロガーさんが「セックスの解放的な、肯定的な快楽を知らずに死んでいく女性は一定数いる」という記述を読んで思いました。いや、いっぱいいる気がします。
歴史や文化は女性の為にはありませんでした。近代にいたるまで。
その近代ですら案外疑わしい。
小沢建二さんは「流動体について」で、「神の手の中にあるのなら、その時々に出来ることは、宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう」と歌いました。
ぼくはこのフレーズが、心の真ん中に突き刺さった。
死ぬのです。近い将来。
そう思うと、「むちゃくちゃやらなきゃ」って決意します。
三島由紀夫のように「行動主義」で生きたい。
そして、小沢建二の「ラブリー」のように「生」を感謝し、一生懸命生きたい。
生を肯定し、幸せをそのまま受け取り、愛を伝える。そして死ぬ。
余計なものはできるだけ受け入れずに、楽しいことに猛進する。しかない。
ぼくは「楽しく」という同じ硬貨の裏表に「死」を常に意識しています。
死は終わりで、終わりに美学を設定してはいないのですが、その分、生に美意識を持って生きたいと思うのです。
この文集もその一部です。
今の現状に感謝して「むちゃくちゃ」を「懸命」に生きる。
死を与えられるまでの暇潰しだからこそ、何でもアリだからこそ、もっともっと自分の人生を追求して、美意識を持って、ただなんとなく生きない。
歴史や文化は、怖い、冷たい、人間の澱を見せる。
人間は人間を苦しめ、殺す。女の子はレイプされる。そして殺される。赤ん坊は壁や地面に打ち付けられ死ぬ。簡単に。あとは、生ゴミの山に火をつける。
神さまに祈ったところで、とんでもない暴力の前にはただ死ぬしかないのです。歴史はあまたの女性が教会で、神の前でレイプされ、殺されてきたことを伝えます。
ぼくにはシンプルな答が視えてます。
生きていることを懸命に、美意識を貫く。
現実や社会は残念ながら変わりません。
当然歴史も変わりません。
また、歴史は目の前にはないのでただぼくらは、与えられる小さな世界で奔走するしかない。
自分の人生の意味がわかってくるのは楽しいし、嬉しいです。
みなさん、勇気を出して歩かなくちゃ!
酒を浴びて、セックスの奉仕する。
サーフィンする。ご飯つくる。
寝る。ゴミ捨てる。子供たちに愛を伝える。
「むちゃくちゃ」する。後悔のないように。
自分の人生に嘘をつかず、良いことを決意して行動する!
皆様も是非良いことを決意して、前を向いて、太陽を浴びて、雨にうたれながら進みましょう。
人生は多分短いのだから。一生懸命「他人からしたら馬鹿らしいこと」に「生」があるように思います。
考えたように、思ったとおり生きます。
多分、躓く。
それでいいです。
行動は変化のきっかけで、「生」そのものですね。
第24話。おしまい。