36歳、浮気なぼくら

ビートニクの生き残りSeiyaの放浪文集

第59話:長文前編です。「ぼくは、本当の事が知りたかった」鏡の国のアリス的に真実に触れる女の子と、分からないまま中二病の歌を大合唱する男の子

第59話。f:id:djsukeroku900:20170924195454j:plain「本当の事」がずっと知りたかったのですよ。中学生くらいの頃から。

「本当の事」って何の事かは自分でもよくわからなかったのですが、世界や、社会ってものに、自分の見ているものとは違う側面があるのだ。と。

でも、なかなか「糸口」は分からなくて、そのうち日常がずっとあるので、そんな事は考えなくなってしまいました。
ただ、こんな変り者seiya。時にずきずきするその感覚にうんうん悩んだり。

こういう時、ある意味残酷な事でもあるのですが「女の子」はリアルな別側面に、パッと入り込んだりします。それこそ「鏡の国のアリス的に」

スルーザルッキンググラース!

クラスに何人かいた勘のいい、愛されたりない女の子たちとか。

昔はバカな女とか思っていました。ニセかわブス女とか。
しかし、今はちょっと分かる。

そう、勘のいい、愛されたりない女の子たち。
本当は、とっても素敵なかわいい娘たち。

男は真実というか、人間の闇というか、もうひとつの世界に「スルッと入る」のはなかなか難しい。

そもそも、門がない。

「鏡の国の」女の子たちが、大人の闇で目を光らせる時、男の子は中二病の歌を大合唱するのだ。
わからないから。怖いし、なんだか心が痛むから。

ぼくは、女の子の「アリス体験」が羨ましかった。
真実はきっとそこにあると思ったから。

女の子は強く、ぼくは、弱かった。
そう、単に弱かったのだ。

本とか映画とかは、ぼくにも分かるように、その真実をある程度写し出していた。しかし、体験したリアルでなければ分かる事なんて何にもなくて、20代のぼくは、女の子に極端に負い目を感じていたのです。

本当の事を常に女の子は知っていて、ぼくより、不細工で、デブで、口が臭くて、かみが不潔で、小汚ないファッションセンスの欠片もないゲスジジイの方が、「本当の事」を知っている…

文学や映画は、そうぼくを追いまくるのでした。

文章を読むと、リアルを掴んでいないぼくは、「知らない本当の事の側面」に潰されていた。
苦しいけど怖いし。

一方で、快活な恋や、「強い気持ち強い愛」みたいな恋愛観を懐刀として、つねに持っていて、冷静さとか、均衡を保っていたのかも。無意識に。

真実が何なのかはそれぞれで掴めばいいのでしょう。

と、今、すっかりリラックスして言えるのは、少しだけ本当の事に触れたからなのか?

本当の事には、でもやっぱり怖いものがある。
長く、その「放射線」にさらされたり、浴びたりしていると、結果は、とても残酷なものになる。

人は残酷で、自分に関わりのない人の痛みはなかなかわからないし、ぼくもそうだけど無頓着なのです。
そう考え始めると、またうんうん悩んでしまいます。
だってぼくらは結局、みんな繋がっているから。
社会とか、やっぱり世界とかはみんな、繋がっていると思うからです。


長くなるので、今日はこのあたりで。失礼します。