若さの哀れさ。ブス化する女子高生たち。
若さの哀れさ。わかります。
ブス化する女子高生。
はい。
でも、哀れさというか「…おっおい…」は
大人の男にとっては多少はかわいいものです。
髪染めない方がいいよ。
肌キレイなんだから、下手なメイクはいらないよ。
妙なデザインのアクセサリーはやめなよ。
そのままでいい。
良い素材はシンプルに調理する。
実は洗練はそれほど面白くない。
哀れさに、憤りに可愛さはあるような…
歪さに生のリアルがあるような。
若さはきらめきです。
きらめきは長くは続きません。
だからこそ、無駄に自分をいじくらないで。
メディアとか、世間に惑わされずに。
若い人、かわいいです♥️
あ、aoiさん、いつも読んでいただいてありがとうございます。
この場を借りて。
これからもよろしくお願いします。
好きな音楽はなんですか?あの頃のパワーを呼び覚ませ!小沢建二さん、「ラブリー」「ドアをノックするのは誰だ?」とか。【27話つづき】
第27話。つづき。
「今、何聴いてんの?」って聞いて、
「最近音楽聴いてない」
という知りあい、結構います。
ぼくは33です。周りの33はこの辺りが分岐点で、オヤジ化が急速に進んで、つまんない奴になったり、ぶくぶくと太って「!お、おまえ…」ってなことになったり、おもしろさのなくなった家族想いのサービスパパになったり、はたまた出世して、ちょっと話難い相手になったり、カッコいい男になってきた奴とか、全然変わんない奴とか、やはり分岐点のように思う。
いろいろな要因はあるだろう。
あの頃のぼくたちとは、ちょっと悲しいけどもう違うのだ。
時間は、人を変える。
それは自然なことだし、別に悲しむことなんて何にもなくて、自分自身にとっては楽しいことなんですが、悲しい変化ってやっぱりある。
で、一方で変わんない奴。
「好きな音楽」を聞いて答が反ってくる奴!
音楽聴かなくなって、ミュージシャンに熱をあげられなくなると、人生ヤバい。だいたいつまんない奴に成り下がり、元気がなくなって、排他的なネガティブシンカーになる。
わかったような事言う人とか。
これは、ぼくの意見。
というのは、音楽に熱中するのって、いわゆる「青春時代」
今なお、好きな音楽に没我できるってだけで、その人は楽しいバイブスを放つし、「あの頃」と変わらない高揚を感じているからだと思う。
音楽は超手頃な娯楽だし、ぼくたちを「あの頃」にあっという間に連れていく。
そういう人はとっても元気でおもしろい。
人生には、「無駄なこと」に楽しさや、生の本質が転がっているように思う。
ぼくは「あの頃」と同じように、小沢建二さんを歌いまくる。
車の中で、部屋で、爆音で聴く。
だから、青春してるオヤジですよ。
変わんない奴。はい。ぼく。
家族もいますし、生活を背負っているのは、昔と全く違うことなんですが、変わらず、バカで、自由で、自己チューで、楽しく生きています。
相変わらず女の子にはしっくはっく。
若いかわいい女の子を前にして、赤面。
でも、毎日、いまだに、女の子にドキドキする自分を少し可愛く思います。
小沢建二さんの「ラブリー」や「ドアノック」とか、名盤「LIFE」のバイブスで生きています。ぼくは。今だに!
音楽のバイブスは、生活パターン、思考パターンに大きく影響を与える気がします。
ぼくの思う「若いまま、変わらぬ状態」かな。
音楽に重なる自分の時間が、本来の自分が持っている瑞瑞しい心に戻してくれるのです。多分。
子供や、親や、親戚や、むかつく上司、部下のことで胸いっぱいにしないでください!
また、言い訳にしないでください!
ぼくは、いやぼくたちは、もっともっと素直に素敵に生きなければ‼️
悲しく、辛いことって突然に訪れるんじゃないでしょうか。
だから、だからこそ、
自分の人生は、自己チューでいいんじゃないか!
生命のパワーを「あの頃」のパワーを呼び覚ましましょう!
音楽はその一助になります。
知的に、勇気を持って、いろいろ背負って、それでも「ワイルドサイド」をあるきましょう!
昔好きだったCD聴いて、ロックしましょう!
「ぼくの心はふるえ、熱情がはねっ返る。敬虔さ。ぼくのアーバンブルーズへの貢献」
女性の腋、素敵です♥️
第25話。
今日の海は本当に良かった!
が!
ぼくのサーフ技術の未熟さから、何か無駄にしてしまったような…
やはり「楽しむ」為には技術、練習、忍耐が必要ですね!
ただ楽しいなんてないです。
楽しむ為の努力って、とっても大事。
窓明けっぱなし。
ラジオの音。おばちゃんの声、話し合い。
演歌。風が吹き込む。気持ちいい。
今です。
三島由紀夫の「行動学入門」オススメです。
昨日若い女の子に冷たーくされました。
うぐっ!
こういうことが生ですね!
でも、別の娘とちょっと仲良くなりました。
次は呑みに誘うのもいいなあ!
人生は楽しんで。
ぼくが突然死んでも、このブログは残る。
少し嬉しいことです。
正直に書いていますから。
今日思ったのは、「愛され上手」と「愛し上手」が一番「人生」を素敵に、真っ当に生きるということ。
人を愛しましょう。
人生とは愛し、愛されて生きることです。
それが、神さまへの恩返しだと、ぼくは思います。
敵は、
愛すこと、愛を拒絶することで不幸は「自己愛」から産まれます。
自己愛より、他者への愛が人生にドライブをかけるのです!
その努力を。
酒を飲む。
世の中、捨てたもんじゃねえな。とか思う。
「ラブリー」
愛情とセックス、少しわかってきた気がします。
夏のボーナス。女の子。女の子に使おう。
男のぼくは、おまんここそが至上の愛。
おまんこは至上の愛です。
クンニリングスは信仰のあかしです!
(あ、おれの場合ですよ(笑))
あと女性の腋、大好きです♥️
女性ものの「フリフリトップス」って、腋見せ構造ですよね。
女性の腋。いいです。
何だか第25話。おしまい。
つづく。
「良い行動とぼくの美意識」
死ぬのです。近い将来。それほど時間はありません。
あ、以前「ファントムメナス」という回で書きましたが…
第24話。
こういう現実から、目を反らさず生きると、自分の本来の姿が見えてきます。
あるはてなブロガーさんが「セックスの解放的な、肯定的な快楽を知らずに死んでいく女性は一定数いる」という記述を読んで思いました。いや、いっぱいいる気がします。
歴史や文化は女性の為にはありませんでした。近代にいたるまで。
その近代ですら案外疑わしい。
小沢建二さんは「流動体について」で、「神の手の中にあるのなら、その時々に出来ることは、宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう」と歌いました。
ぼくはこのフレーズが、心の真ん中に突き刺さった。
死ぬのです。近い将来。
そう思うと、「むちゃくちゃやらなきゃ」って決意します。
三島由紀夫のように「行動主義」で生きたい。
そして、小沢建二の「ラブリー」のように「生」を感謝し、一生懸命生きたい。
生を肯定し、幸せをそのまま受け取り、愛を伝える。そして死ぬ。
余計なものはできるだけ受け入れずに、楽しいことに猛進する。しかない。
ぼくは「楽しく」という同じ硬貨の裏表に「死」を常に意識しています。
死は終わりで、終わりに美学を設定してはいないのですが、その分、生に美意識を持って生きたいと思うのです。
この文集もその一部です。
今の現状に感謝して「むちゃくちゃ」を「懸命」に生きる。
死を与えられるまでの暇潰しだからこそ、何でもアリだからこそ、もっともっと自分の人生を追求して、美意識を持って、ただなんとなく生きない。
歴史や文化は、怖い、冷たい、人間の澱を見せる。
人間は人間を苦しめ、殺す。女の子はレイプされる。そして殺される。赤ん坊は壁や地面に打ち付けられ死ぬ。簡単に。あとは、生ゴミの山に火をつける。
神さまに祈ったところで、とんでもない暴力の前にはただ死ぬしかないのです。歴史はあまたの女性が教会で、神の前でレイプされ、殺されてきたことを伝えます。
ぼくにはシンプルな答が視えてます。
生きていることを懸命に、美意識を貫く。
現実や社会は残念ながら変わりません。
当然歴史も変わりません。
また、歴史は目の前にはないのでただぼくらは、与えられる小さな世界で奔走するしかない。
自分の人生の意味がわかってくるのは楽しいし、嬉しいです。
みなさん、勇気を出して歩かなくちゃ!
酒を浴びて、セックスの奉仕する。
サーフィンする。ご飯つくる。
寝る。ゴミ捨てる。子供たちに愛を伝える。
「むちゃくちゃ」する。後悔のないように。
自分の人生に嘘をつかず、良いことを決意して行動する!
皆様も是非良いことを決意して、前を向いて、太陽を浴びて、雨にうたれながら進みましょう。
人生は多分短いのだから。一生懸命「他人からしたら馬鹿らしいこと」に「生」があるように思います。
考えたように、思ったとおり生きます。
多分、躓く。
それでいいです。
行動は変化のきっかけで、「生」そのものですね。
第24話。おしまい。
恋人同士と、ぶきっちょな愛を!魔法を!【改定、増補版】
第23話。
恋人同士になる前には、相手を想う時間と、付き合ってもらえる確率は「反比例」する。
また、考えている時間と、具体的な恋愛行動をする確率も「反比例」する。
相手のことを夢想する時間と、現実の彼女、彼氏のとる行動に落胆する確率は、「比例」する。
考えたり、夢想する時間は、弱い。ひとりぼっちの勝手な偏った世界だから。弱い。
しかし、もう恋人同士ならば、相手を夢想する、想う時間は「超大事」に変わる。
ひとりぼっちの世界は、いつの間にかなくなって、否応なしにいるから。相手が。
自分の世界に干渉する。恋人、他人。
うわっ。
さて、恋人同士になると、恋人同士の継続期間と、相手のことを考える時間は「反比例」するようだ。
空気のような存在というのも、まあいいものですね。それも確かにありがたい。
しかし、人間はやっぱり快楽に惹き付けられる。スリリングな性愛だったり、うれしいサプライズだったり、とろけるような甘い言葉だったり。
それがなくなったり、感じなくなると、関係は終わったりする。または、知らん顔して、嘯く。あ、うそぶく。これは、恋の、愛の「低温火傷」
ぼくは、男で、女性が好きです。イザナギとイザナミという神さまたちが感じたように、「別の可能性」としての相手は理解し難い。
ぼくたちは、何か足りない自分を探しているのか?
ギリシャ神話ではアポロン神に切り裂かれた半身を求めるから。だとか…
それくらい熱い、業のようなものという意味か。
だから、神話では「厄災」とされるし、キリスト教の使徒や伝道師は「罪」とした。
仏教では、「女人禁制」をしいた。
それくらいセックスは強い。異性は強く、強く、ぼくたちを引き寄せる。
それはでも、関係は「障害」によって強くなるような気がする。
逆に。
障害があるからこそ、情念は強くなり、業になるのでは。だからこそ、「禁忌」があるのでは。
セックスが好き放題になれば、反って空気みたいになるかも。ただスキンシップのひとつ。つまんない運動か。
気になるのは、セックスの罪や悪とされるものは、女性の悪とされた。歴史によると。
まあ、ぼくは何度も言ってきたのですが、セックスが女性側のものだからということでしょう。
イザナギとイザナミの話でも、最初にイザナミ(女)がセックスを誘って、「厄災」がおこる。アダムをそそのかすイブ。男性が作ったんでしょうな。神話ってのは。「俺は悪くない」ってか。
「恋愛」は強くて、美しいし、ロックだし、すべてです。
だから、「恋愛」したいのです。
最初は、相手のことはあまり考えず、シンプルに、相手に自分を伝える。投げ出す。
失礼のない程度に。
考えません。深く考えると、考えることなどないのですよ。
考えることは、いわば、逃げ口上。ださっ。
考えるのは、そのあと。
その前に考えるのは、戦術。
考えるのは、相手の「快楽」
高尚に言えば「幸せ」
考えるのは、恋人同士になってから。
そう、「幸せ」を。
セックスだけでは、繋がれませんし、継がらない。
「幸せ」を魔法のようにヒュッと隠す。
男なんだから。
女の子には、ぶきっちょな愛を、すみませんよろしくお願いいたします♥️
おしまい。
ありがとうございました。
イタリアンの「娼婦風パスタ」ってオマンコ風な味からネーミングがきているように確信しているSeiya*♥️です。オリーブ、アンチョビ、ケッパー、ニンニク…ほら。
ただ、それだけです(笑)
夜更かしです。タヌキのお膝元、おっぱいもんでねんねします。
次回は、「セックスとレイプ」の前に。宵山か。
発見!落語のCDって楽しいですね!
立川談志師匠いいなあ!
今日はとてもいい天気で、海は楽しかったです!
さて、第22話。
今は酒(赤ワイン)を飲みながら、公園にいます。曇ってきました。
素足で、土を踏みしめ、歩く。
とても気持ちいいですね。
最近のぼくは、「原始、原初」がテーマで、まあ、十分にシンプルで原初的に生きてはいます。そんで、文章書く!
うわあ、ビート的!
陰謀、隠蔽の社会、世界だとも思うのですが、こうしてそれらの恩恵でこのような文章を、想いを発信できるのですから、ある程度は感謝です。
サーフィンはぼくなりに良かった。
今日の海は優しくて、乗せてもらいました!
酒は…いつも素敵で、楽しいですね!
あとは、セックスするだけ。
昔、ぼくは、神秘的な事にあこがれがありました。インド哲学とか、宗教とかね。
でも、今は、もっと身近で、遠い、神秘的な「女性」に、やっと気がついた。本当にやっと。
あ、ハタチには遊ばれてますよ。
何かかるーく。
でも、それも楽しいです。何か。(笑)
これが、こういうことが、「人生」ですよ。
ぼくの足をクロオオアリが歩く。
アリって実は超エコロジスト!超地球的!尊敬します。
土の匂い、いいですね。
次回は、「セックスとレイプ」について勉強の上で、発信したいと思っております。
あるブロガーさんの文章を読んでいて、考えました。
くれぐれも皆様、レイプのようなカス行為を許さずに、ファンタジーとしてのレイプの自由を謳歌されますように!
レイプは胸くそ悪くなるクズな行為。
セックスも人生も「有難い暇潰し、オマケ」
だからこそ、美学をもちましょう!
この文章の読者様たちは、全然大丈夫なはず。
セックスにこそ、美学を。それは、女性のために。です!
ありがとうございました♥️
Sexology of everyday life/seiya*♥️
今の世界、社会の方向が不自然。それでも楽しく、生きる。
第21話。
夢を書いたり、空想したり、妄想したり、夢想するのが好きな人は、「大人」になってしまうと、どこか「ズレる」煩わしいことを全く関係ない人に言われたり、悪意に攻撃されたりする。ふうっ
ぼくは、そんな攻撃的な、彼らの気持ちは、(寛容なのか、無関心なのか、「彼女ら」からはあまりない)わからない。
逆に、
「なぜ、そんなに現実というか、現状の中に執着するの?」
と思ったりする。
そんな中の、「ある彼」の言うことは、ぼくからすれば、退屈だ。
彼からすれば、ぼくの話は、
「そんな話程度」「大人になれ」「夢みすぎ」とか…
ある彼の話を聞いていると、「恐れ、怖れ」が支配しているように感じる。
そのわりに尊大である。ふうっ
恐れや、怖れは誰にでもついて回る事だと思うのですが、思考のパターン、ロジックが、社会的な不安感に覆われて、偏ってしまうのかも。
大型のカッコいいバイクを買い、高品質のロードバイクに乗り、無駄にデカイアウトドア系の車を乗り回し、(本人はアウトドア派ではありません)余計なリフォーム、挙げ句マイホーム購入と、何だか「金、買う」の連続!すごいと思うし、立派な事ですが。
ぼくが引っ掛かるのは、その彼がとても楽しそうに見えないことなのです。
まるで楽しみを探すように、モノを買っているようです。
本人の人生なので、ぼくは、それでいいと思うのですが、その彼は、富によって、おおらかに、愉快になるどころか、どんどん、攻撃性を宿し、シニカルになり、排他的になっていきました。
本当に、本当に、残念でした。
楽しむのも、「技術」なのかもしれません。
厳しい社会に、その思考に覆われてしまうと、本来、人が普通に持っている、「好奇心」や「想像力」は、力を縮めてしまうのでしょう。
セックスもそうで、原始的な事は、シンプルに真実です。
「夢想、妄想」するのも、原始的です。
こうやって、歴史はあって、ぼくらがいる。
生きている。好奇心を持つと、新しい「夢想、妄想」が沸き上がる。自然に。
雑草の力強さのように。
社会は、確かに除草剤を容赦なく撒き散らす。
前にも、書いたのですが対抗するには、「原始的な事」です。シンプルな心にあります。快楽にあります。愛情にあります。
今の世界、社会の方向こそが「不自然」なのです。
しかし、現実に生きなければならない、諦めちゃいけない。ふうっ
だから、対抗する。人がつくる素晴らしい、偉大なものである「文化」が、対抗であるように。
弱くても、傷ついても、楽しく、快活に、夢想して、想像して、期待する。快楽をおおらかに感謝する。
第22話。おしまい
Sexology of everyday life/seiya*♥️
ありがとうございました