36歳、浮気なぼくら

ビートニクの生き残りSeiyaの放浪文集

第61話:「生きろ、どんな手を使っても」土方歳三と近藤勇。 10代とか20代の人たちに思う。「願う」こと、それは、「弱さを含んだ、強い気持ち」か。

「生きろ、どんな手を使っても」
この名台詞は、
NHK大河ドラマ新選組!」(三谷幸喜作)の中で、敗残の新選組が包囲され、新政府軍に出頭することになった局長近藤勇に副長の土方歳三が言うんです。
これは、本当に最高の台詞だと思うのです。
常に命をかけて戦い、死を恐れず、死を厭わず、規律のためには、仲間をも死に追いやる、そんな鬼の副長土方歳三が、

「どんな手を使っても」です。

確かに土方歳三は純粋な武士道精神の持ち主ではなく、出生からしても、合理精神に基づいたリアリストである。

「名誉のために切腹する」と考えた、近藤勇をとめ、
「生きろ、どんな手を使っても」
わかる。

でも、これは、「生きてさえいれば、また再起をはかれると考えた」とか、彼が、リアリストだとか、合理精神じゃなくて、「願い」であるのです。
新選組を作ったのは近藤ではないのです。
土方が、一切の私心を捨てて「最強の組織」を作った。
鉄の意志で。

その彼が、最後は「願う」しかなかったのです。
近藤を送り出した土方は、すぐに幕臣勝海舟のもとに近藤の助命嘆願に向かう。
土方には、近藤が助かるとは思えなかったから。
新選組は最強になった。しかし、結果は残酷だった。

「願う」こと。土方は、この後も戦い続けて、函館で、戦死します。
しかし、ぼくには、近藤との別れがある意味「土方歳三の死」でもあるように思える。
最後は「願う」しかなかった。
どんなに強い人間も、強くなっても、「願う」ことしかできなかったのですね。


「願う」ことか…弱さを含んだ、強い気持ちですね。

そうか。「弱さを含んだ、強い気持ち」か。

ぼくもね、だんだん涙もろくなってきててね…
一番悲しい気持ちになるのは、

「自分より若い人の死」

「自分より若い人の自殺」

本当に、悲しくなる。やっぱりつながっちゃってるなあ…

ぼくは、父を自殺で失いました。
でも、今も、その時も全く悲しくなかった。

死んだほうが彼のためだと思ったからです。
しかし、若い人は絶対にそんな事はないのです。

今、どんなに苦しくても、どんなに周りの人に大切にされなくても

「生きろ、どんな手を使っても」

この言葉だけは言いたいのです。

「生きろ、どんな手を使っても」です。