前略、風俗嬢さま(ぼくの書いた一番美しいラブレター)けれど、 何だか悲しくなってしまいました。
「全然、人間だと思われてない」とある、風俗嬢は言った。
ぼくは何となくな、「優しい言葉」をかけたつもりでした。
世の中の男たちは、そんなにぞんざいな態度をとるのか?
それとも、別の「周りの誰か」なのか。
とにかく、彼女は自尊心を挫かれ、それでも、それを受け入れているのか、単にスルーしているのか、ぼくには、強かに生きる女の屈強さを感じました。
彼女はそれこそ、「やりっぱなし」の1日を
おくる事もあるそうです。
「お金のためだよね」
その時は何となく、ぼんやりと、「そうだよねえ」
とか、無責任なことを言いました。
こういう職業の女の子には、感情移入してはいけない。
ぼくはそんなに強くない。
だから…はぐらかし気味にしていたのです。
風俗嬢は、やはり「心の闇」というと、超ネガティブな感じですが、他の人が触れてはいけない領域、懐かしい言葉を使うと「ATフィールド」がデカく、また、強い。
だから…うーん、うっかり侵入したらダメなんですよね。
でもね、結構「恋しちゃう」とね(笑)
だから…ぼくは風俗嬢に、頑張って、一生懸命優しく、愛したいです。
上手く出来ないし、上手く言えないけど。
なんか、そういう気持ちです。
名前、何で呼んであげなかったんだろう…
風俗嬢の中にも、とても大切な人はいます。
一生、忘れないだろう人が。
自分の心のどこかに、大切にしまってある「魔法のチョコレート」が。
ぼくに関わってくれた風俗嬢にありがとう、生まれてきてくれてありがとう。
ぼくは、とても幸せです。
愛する事は、本当に、本当に、ありがたい
「マジックタイム」だと思います。
本当にありがとう。
届いたら困るけど、この愛の感謝のまごころを、勝手に送ります。
愛の形は美しく、素敵です。
でもね、ちょっと悲しくて、痛くて、とても怖い、ものも、確かに含んでいます。
そういう愛とか、恋があるのですね。
年を重ねてわかるような気がします…
今回は少し、書いていて、悲しくなってしまいました。
なぜか…ねえ(苦笑)
悲しく感謝。生きていると、不思議な感情が湧いてきます。
ありがとう。
おしまい。
多少の無理が、どれだけ相手を歓ばせるか
目を覚ませ男なら!
(笑)
へきるちゃんか…
時に悲しく。それでも旅は続く!
この文集で、さんざん「女性主体のセックスをする」と叫び続けてきた僕が、まんこに触れず、体にキスもせず、最悪なことにクンニリングスせずに、逃げるかのように、挿入、ただ、ただ、スラスト…中折れしかかり、あわてて射精。
ただ、ただ、すみませんでした。
というしか…ありません‼️
次回は自分の美意識を、屈せずに、表したいと思います。
そういう時、ないですか?ありますよねえ‼️
「魔法のチョコレート」の無くならない甘さ (全てのかわいい女の子、そして美しい風俗嬢たちに捧げます)
我が同胞、男性諸君!もうすぐ短い夏は終わります。
この平和を、ありがたく享受して、遊びましょう!マジで。懸命に。
さて、どんな形でかは分かりませんが、女の子とのストーリーが始まったり、ずばりセックスするとしましょう!
その時妥協しないでください。とくにセックスする相手のルックスは。
性格がいい娘は、もちろん彼女にしたり、友達になればいい。ルックスは余り重要じゃない。きっと楽しいから。
そうだ、彼女とか、妻にする人は別にルックスは
及第点くらいで十分。
あとは、床上手だと、よりいいけどね。
そして、本題。セックスだけで終わるパターン。
これは、性格とか、相性とかはもうどうでもいい。
ルックスさえ良ければ。
その時、ホテルの一室がどんなにビターでも、「ルックスのいい娘」を「抱いた」という事実だけが、後々生々しい甘さをもって感じられるから。
逆にルックスがいまいちだと、「俺は何してんだろう…」と後悔したり。
後味の悪いフランス映画のように。
「かわいい」はやっぱり強い。
「魔法のチョコレート」は「かわいい娘を抱いた」にしかない。
何度でも無くならない「魔法のチョコレート」の甘さは、人生のある一部の支えになるように思います。
時にビターなスパイスも、チョコレートには必要なのでしょう。
性格が合う、性格がいい娘は恋人に。
そして、「魔法のチョコレート」をどこかで探しましょう。
おしまい。
「かりんちゃん」
ぼくたちは自由だ。
自分を束縛するのは「偽り」で「怠惰」
嘘つけ‼️
俺らは自由なんだ。
失敗から学び、心を解放すると感謝の心が生まれる。
生きてるうーという喜び。
かりんちゃんが教えてくれた、自分。
妻を愛して、子供を愛して、知らない女の子を愛す。
愛情は多いほうがいい。
関わる人も多いほうがいい。
人生はそれでも甘く、美しく、楽しくて、悲しい光を放つ。
死はぼくを甦らせ、ぼくを何処かへ解き放つ。
比喩ではなくて、実感します。
人生はどうにでもなって、人生はどうでもいい。
長いような、短いような、深いような、浅いような。
心の渇望に従順に生きたい。
人生は一度だけ。
青春は何度でも。
バカらしいことは本当に素晴らしい。
バカらしく生きるのは、カッコよくて、可愛くて、美しい。
完全な自由はないけれど、心の自由は自分しだい。
感謝はたくさんの人にしたい。
かりんちゃんは可愛く、素敵です。
吠える犬を無視して旅を続けます?
「はい/いいえ」
できるだけ自由に、快活に、官能的に。
人生は一度だけ。
でも、青春は何度でもあります。
文豪、ヘルマン・ヘッセも言っております。
また、セックスは、常にリアルで、解放で、嘘をあばき、心をあばき、学びの場。
でも、一方で魔法にかかることも。
嬉しい魔法、甘い魔法、はたまた黒魔法…
ある意味失敗だったことも、
新しい美しさを持つことを知りました。
また、「魔法のチョコレート」と表現する、きっかけになる、「新しい愛情の感覚」を感じました。
いつかまた、会えると、また違った喜びを感じられるのかもしれません。
ただ、魔法や感情や感覚、想いは自分勝手な幻想でとりとめのないもの。また悲しくなるかも…
「かりんちゃん」は素敵です。圧倒的に。
こいつ、マジで無理だ…と思ったのですが、咀嚼してみると、やっぱり嬉しいです。
ありがとう。
あ、これは、ぼくの一方的な思いですよ。
ぼくの人生はぼくのものなので、自分勝手にさせていただきます。
自分勝手に魔法にかかります。
夜の終わりには神様にありがとう。
おしまい。
この文章は明るく、強く、かわいい、かりんちゃんに捧げます。